努力したけど報われなかった…引きこもりは繊細

恋愛も勉強も仕事も、『あんなに頑張ったのに、何も結果を残せなかった…』そう挫折を感じたことはありませんか?

人よりもたくさん勉強したけど、受験に失敗した。純粋に人を愛したけど報われることもなかった。仕事では苦労の連続で続けざまに不当解雇に遭った。

書き出したらキリないかもしれないこの不幸自慢。わたしは自称不幸のデパートでした。

それでもそれをバネにして、生きてきたわたしの知恵をお伝えしたいと思います!

 

隣の芝は永遠に青い

○○ちゃんは結婚相手も親が探してくれるし、△△ちゃんはお父様の会社の従業員という形で何にもしてないけど、ちゃんとお給料という名のお小遣いもらってるし…

上を見たらきりがない。でもそれでも自分の不遇さに落胆してしまうものです。

この家に生まれてこなかったら…
もっと綺麗な顔だったら…

と言い訳なんていくらでも出てきます。

それでも日本という国に、今の親の下に、この時代に生まれてきた事実を変えることなど出来ません。

だから変えられない事実を嘆くよりも、面白がって自分の道を切り開いていく方が良いと思いませんか?

誰かのなにかのせいにして悲観して生きていくよりもずっと面白いものです。

引きこもりはとても繊細な心の持ち主が多い。自分でいうのもなんですが、わたしはとても繊細な性質をもった人間だとおもいます。人の顔色やちょっとした言質をくみ取ってしまい、変に落ち込んでしまう事もあります。

こんなこともあり、友人から「HPSなのかも?」と言われたこともあります。

HPSの説明は以下より、

ハイリー・センシティブ・パーソン(英: Highly sensitive person, HSP)とは、生得的な特性として、高度な感覚処理感受性(あるいは生得的感受性[1][2])を持つ人のこと。テッド・ゼフの著書「The Highly Sensitive Person’s Companion」による定義では「産まれたときから幼少期に渡り説明のつかない体験を繰り返し、HSPではなく生まれた人より五感が鋭く、精密な中枢神経系を持ち、良い刺激にも、悪い刺激にも強く反応する感受性の強い人達」[3]とされる。 HSPは病気や障害ではなく、心理学上の概念であり精神医学上の概念ではない。DSMにも指定はされていない[4]。以前より、HSPが既存のビッグファイブ(英語版) における性格特性の要素(外向性(英語版)や神経質傾向(英語版)など)から独立した概念ではないとして疑問視する臨床医が多く存在しているが、それはエレイン・N・アーロン博士による著書がピア・レビューを受ける前に、HSPの概念が広がってしまったことによるもので、現在に至ってはHSPに関心がある多くの人達により実質的なピア・レビューは受けているとされる[4]。2018年に発表された研究によると、HSPの感度には低・中・高の3種類の分類があることがわかり、ビッグファイブ(英語版)の外向性(英語版)や神経質傾向(英語版)、そして感情反応性の違いによって、その人の感受性レベルが決定されることが示された[5]。 HSPは生まれ持った気質であり、生涯、変わることはない[6]。人口の約15~20%を占め、男女によって偏りは見られない。同様の性質は、人間以外にも100種以上の生物にも見られる

wikipediaより引用

たしかに感受性が高かったりするので該当するのかもしれませんが、真実は自分ではわかりません。でも生きづらいのは紛れもない事実なのです。(ただの勘違い神経質女ならハッピーなのですがね・・)

引きこもりで悩んでいる人ももれなく、こういう感受性が高かったりする方が多いはずです。だから引きこもりになるのです。

他人から言われること?は?そんなのどーでもいいし!みたいな方が時々テレビを観ているとおられますよね(;’∀’))ハートが強くて羨ましいです・・。人から嫌われることをいとわない姿・・。尊敬しかありませんが、あそこまで傍若無人にもなりたくないという本音もわたしはあったりします。

引きこもりである自分は繊細で傷つきやすいということを認めましょう。そしてそれを強みに変えていけるようにしていけばいいではないですか。

わたしはずっと『自分は心の弱い人間だ』と思っていましたが、最近は『これだけ色々あっても強く生きているから自分で思っているよりもずっと丈夫なのかもしれない』割と本気でこのように感じています。

 

努力は報われない・・は真実なのか?!

わたしは数々挫折しており、「なんでみんながしない苦労を沢山しているんだろう。こんな感じて生きていくのならばもうさっさと死んでしまいたい」と常日頃そう思っていました。

不当解雇に2回あったり、結婚詐欺にあって裁判もしています。だから辛い苦しいことがあると慰謝料という名の少しのお金がわたしの手に入りました。だからわたしのお金に対する考え方は、

嫌を思いをする=お金

という非常に間違った概念をもっていました。

思い起こすと、数々の嫌な思いをしてわたしのところに来たお金。それのほとんどをわたしは自分を癒す旅や動物団体に寄付をしました。

そのおかげで今でも忘れられないような素敵な景色を知ることもできたし、大好きな動物の命を繋ぐお手伝いをすることもできた。ものは考えようと言えば「短絡的すぎやしないか?」となるかも知れませんが、これが事実なのです。

そして想像力は豊かになったし、飼えなくなったペットの里親になって欲しいとお願いされて、今では家族の一番のアイドルとして笑顔を引き出してくれる大切な存在にもなっています。

わたしの大きな挫折とは?

TOEICという英語の試験があります。

当時、CAを目指して勉強中だったわたしはこの英語の試験の点数がなかなか伸びませんでした。 留学をしたかったのですが、我が家では金銭的な都合で留学させてもらうことはできませんでした。

でもほとんどの同級生は「留学したい!」と言えば、サクサクと留学して英語を(それなりに)身に着けて帰ってきました。 自分で何とかするしかない!お金ないならないなりに努力するすればいい!と、自分のできる範囲でそれこそを英語漬けの一年を過ごしました

授業やバイトの時間以外は、当時あったMD(ってご存じですか?昔でいうウォークマンのカセットではないバージョン)にNHK英会話を初級からビジネス会話まですべて録音して復習をしていました。

もちろんリアルタイムでもラジオ英会話を初級からすべて聞いて勉強をして、それ以外はTOEICの参考書で勉強。お風呂に入っている間と寝ている間は英語のCDをかけていました。

もう遊びに行くようなことはほぼなく、バイト代はたまに英会話のレッスンに使っていました。 それでもこれだけ頑張ったけど、 全然、英語のスコアは伸びなかったんですよね。自分ができることを精一杯しましたが全然ダメダメでした。

それに引き換え、留学先で彼氏を作ったり楽しんで帰国した子たちはみんな英語のスコアがとても高い。本人たちは「留学でなくて遊学だった!」と言っている姿をみて、格差を感じました。

自分のできる範囲で頑張って英語してもほとんど成績が伸びなかったわたし。わたし自身が悪いのに、留学(遊学)できるお金持ちの家に生まれただけで英語も話せるようになるのかと思うと、心がひねくれて貧乏な自分な境遇を恨みました。

『あんなに頑張ったのに・・なんでわたしは・・』と努力なんてしてもやっぱり無駄なんだと思いました。 あの頃は心底。

自分の周りだけがすべての世界と思ってはいけない|引きこもりあるある

引きこもりにありがちな傾向なのは、自分の見える近場なところを世界のすべてのように錯覚してしまうことです。

しかし決してそんなことはありません!引きこもりだからただ視野が狭いだけの理由です。

だから身近な顔見知りの誰かと自分を比較して、ダメな自分の烙印を自分で押してしまうのです。でも顔見知り程度でその人が本当に幸せで挫折も苦労もせずに今まで生きてきたのかなんてわかりません。

わたしは外に出られるようになって、いろんな人と出会いました。大なり小なり、過去にみんな色んな葛藤と戦ったから今キラキラと輝いている。『この人、すごいな』と純粋に感じることができる。

大切なこと
世界って引きこもりが思っているよりもずっとずっと広いんです!

引きこもりだと、つい目に付く世界がすべてに感じてしまうが決して決してそうではないのです。今こうやってネットに繋がることができる環境があるだけでも、世界と繋がることが出来る。自分の主張を発信することもできる。

だから自分で『ダメ』の烙印を勝手に押さないで下さいね。

努力は本当に報われなかったのか?

また話に戻るというわかりにくい書き方をしていますが、TOEICのスコアはさんざんたるものでした。わたしの努力なんて全然報われなかったとつい最近まで思っていました。

わたしは今、海外部門の所属しており(英語もろくに話せないのに)、年配の人から「どうやって勉強をしたの?」と聞かれました。

お金がなかったから留学できなかった、だからNHKの英会話を初級からビジネス会話まで聞いて寝るときも英語漬け勉強したけど、結局結果にでなかった。なので勉強法を教えて欲しいくらいですよ笑と情けない感じで答えたら、

『とても優秀だね』

と予想外の答えが返ってきたのだ。

その継続してやり続けることが出来ない人多いんだ、色々と理由をつけてやらない人がほとんど。結果ばかりがすべてではないんだよと。

ちょっと拍子抜けした気分であったけど、情けなくて勉強法なんて誰にも言えなかった。

だって元CAのくせに大したスコアも持ってないから恥だと思い込んでいた勝手に自分で自分の枠を作って、恥ずかしい認定をしてしまってたのだ。

この時に、努力は報われなかったけど、努力したことは報われた!と嬉しい気持ちになった。 人からどう思われてもいいではないか。自分が本当に一生懸命に向き合ってきた、その経験はかけがえのないわたしにとっては宝物。

まとめ

挫折した経験や努力が報われなかった経験も、すべて考え方次第でごみにも宝にもなるんだって感じました。

他人から見たら、ダメで情けない経験だったとしてもそれを糧にして成功している人だってたくさんいる。逆に完璧な人間でめっちゃ稼いでます!成功しています!よりも、人間味があっていいじゃないか!

年収がウン億円あった人が、貯蓄が5000万円になって悲観して自ら命を絶った人の話を聞いたとき、少し気の毒な気分になった。挫折も苦しい経験もきっと今までしたことがなかったのかもしれない。そうなると心が折れたら、もう折れっぱなしになる。

コップの中の水が「あと半分もある!」と喜ぶ人と、「あと半分しかない」と嘆く人の違いを例え話でよく聞くが、まさにこれなんだなと腑に落ちた瞬間。

努力して報われなくても、いつか自分の宝になる瞬間というものはいつくるかわからない。 だからわたしはこれからも生き続ける!

でもドMでは居続けたくはないですが!笑

今色々と辛い思いをしている人も、いつかこの経験が宝に変わる瞬間のために少し勇気をもって挑んでみてはどうでしょうか。この宝に変わった瞬間は、どんなにお金があっても美しくても、味わえないものですから。

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