引きこもりの娘を持つ母ができる最短で幸せになる方法

引きこもりの娘を持つお母さん。娘はお母さんを出来るだけ傷つけたくないと生きてきました。私が本当にそうでした。幼少期に不仲だった両親の姿を見て、父が母にキツく当たって、私の見えないところで小さくなって泣いている姿を私は子供の頃から見ていました。

だからなるべく迷惑をかけない、良い子にならねばならないといつの間にか刷り込まれていたのです。

引きこもりの娘の将来が心配」そうお母さんが本気で思われるのならば、今からお話する方法で解決に導いて行けるはずです。

 

娘と母親の関係性は難しいそしてしんどい

 

 

母と娘。2人とも女。一卵性親子みたいな言葉も聞いたことがあるが、そういう関係って今時な感じがしてちょっと羨ましかったりする。

私の父と母は、今でこそかなり丸くなったけど、気が短い父はよく母にキツく当たっていた。そんな父を子供の時から見ていた私はいつからか、父が大嫌いになった。そして私がイライラしてたりすると、母はいつも言った「そういう短気なところがそっくり・・」とため息混じりに。

 

そう言われるたびに、なんてダメな人間なんだろうと心底、自分自身を恨んだ。

 

 

小学生の時、母のお手伝いをして失敗した。その時も母は父にイライラしていた。ひき肉を炒めていたのだが、その時に「こんなの炒め過ぎて食べれない!」と言われてひどく悲しくなった記憶もある。

 

まだまだ書き出せば、もっとひどい事を言われて傷ついた経験もある。残念ながら私の小学生時代の楽しい記憶はない。絶対にあったはずなのに、何も楽しい思い出はない。というか思い出せない。

 

虐待?いいえ、むしろたくさんの愛情も感じた

 

 

こんな事を書いていると、虐待とかネグレクトとか言われそうだけど、むしろたくさん愛情をもらったと思う。というか過干渉か過保護だった気がする。

 

中学高校時代はちゃんと毎日美味しいお弁当を作ってくれたし、朝ごはんもご飯とお味噌汁。部活も応援してくれていた。必要なお小遣いは理由を話せばもらえたし、高校受験に失敗した時はこっそり泣いていたのも知っている。受験勉強中も毎日、お夜食も作ってくれていた。

 

しかし、両親の不仲は変わらなかった。ちょうど受験の頃も些細なお金の事で喧嘩をしていた。母は自宅でコツコツと夜中まで仕事をしていたのも知っている。

 

 

高校受験に失敗して母を泣かせてしまったけど、実は私学の受験だったのでわざと手を抜いた。だって私学に通うなんてめちゃくちゃお金がかかる。だから私の心は本当は無事に不合格になって、地元の公立高校に進むことで安心してたのだ。

 

また親の揉める姿を見たくなかった。理由はただそれだけ。

 

娘の本音|母が重くて、しんどい

 

今、大人になって思うけれど、働き盛りの両親もストレスがたくさん溜まっていたはず。私は一人っ子だったし、将来お嫁に行く時のために・・と特別に母は私のために頑張って働いていた。

 

正直、それが重たかったししんどかった。

 

私が大学へ進学したいと言った時、母はちょっと驚いていた。進学しても短大くらいまでだろうと思ったと言った。国立大学や公立大学に行けるような学力がなかったから私は私立の大学に今度こそは入学しようとした。そして、私立の大学に入学した。

 

 

高い学費を払ってもらっているんだからとちゃんと勉強はしたし、良い成績で卒業した。超就職氷河期でなんとか小さな会社に就職できたけど、何のために生きているのかわからなくなって3ヶ月で辞めた。

 

もちろんドヤされた。当然だ。でも心機一転、CA受験したらなぜかあっさり採用試験に合格。

 

その時、母は言った。「大学でなくて短大(この短大はCAになる人が多かった短大)も合格してたからそっち行ってた方が近道だったんじゃないの?

 

大学でお金をかけてもらったのに、すぐに仕事を辞めた私。そして短大に行ってれば良かったのにという言葉は深く胸に刺さった。

 

また私は選択を間違ってしまったんだと。自分を責めるだけ責めた。

 

 

もちろん母に他意はない。なぜならばCA採用には大喜びだったから。

 

母の呪縛と娘の自己肯定感

 

 

こんな感じで、私には自己肯定感なんてものは一切なかった。全て母の基準や感情を伺いながら生きていたと思う。

 

CAを辞めて実家に帰ってきても、せっかくなれたのに勿体ないねと言われ、何かバイトしても、大学まで卒業してるんだからもっといいところないの?とか、いちいち口を出してきた。

 

自分の存在価値なんて大してない(とそういう風に成長してしまったので)、大学まで卒業させてもらっているのにダメな自分を認定した。そして私は引きこもりになった。

 

 

引きこもり娘を自立させる方法は?

 

前置きが長くなってしまったが、母も自己肯定感のないタイプだったのかもしれない。娘のために一生懸命な1人の母。娘の幸せを人一倍考えてくれているに違いない。今でもそれは変わらない。

 

通っていた心療内科の先生も言っていた。子煩悩っていうのは年末の除夜の108の煩悩の中のひとつだから。いくつになっても親は親なんだと。確かにそうなのかもしれない。でも当時はそういう心境ではなかった。

 

引きこもり娘を持つお母さん。本当に娘の幸せを考えるならば、お母さん自身が傷つく必要があります。でも長い目で見たら、お互いが幸せに自分の人生を歩んでいける方法があります。

 

それは、家から出す!

 

 

引きこもりの娘を追い出すのか?と思われるかもしれませんが、永遠に実家にこもっている間は変わりません。むしろ、ますます親の期待に応えられない自分を恨んで自滅に進みます。

 

娘は罪悪感でいっぱいって知ってましたか?

 

私が40才の頃、幸いにも正社員になって働き出しました。要らないものはどんどん捨てていこう、それで実家の居心地を良くしよう!と思い切って、棚を丸ごとひとつ捨てました。

 

物を捨てて、新しいスペースができた時、私は地味に感動したんです。自分で作り上げた新しいスペース。10年近く引きこもりとニートの間で生きていたけどちゃんと自分で作り出した新しい場所。

 

 

ある日、会社から帰宅して愕然としました。

母が勝手に「私の新しいスペース」に大きなハンガーラックを置いていたのです。この時は泣きました。なんで邪魔をするの?私はもう40才だよ?怒りまじりに泣きました。

 

さすがにもうはっきりと言わないとわからない!と思った私は母に言いました。

「私の部屋に勝手に入らないで欲しい。良かれと思ってやってくれてると思うけど、本当に嫌なんだ」と。

 

母は下を向いて、ごめんとも何も言わずに黙っていました。下を向いた顔を見ているとたくさんのシワが見えました。悪気がないことはわかっています。シワの数だけ苦労してきたことも知っています。だっていつも側にいてくれたから。

 

 

罪悪感でいっぱいになりました。もっと早く自分の口で堂々と話せるようになっていたら、お互いどれだけ楽だっただろう。きっと母は今とても傷ついているだろうと容易に想像できました。

 

まとめ

 

この時、私は40才、母は70才でした。お互い依存し合う関係がおかしいとようやく気がついたのです。やはり年齢を重ねれば重ねるほど、罪悪感は増します。私も辛い、母も辛い。そして母自身は何も言いませんが、子育てしてきた40年間を否定されたような気持ちにもなったかも知れません。

年月が長い分、ダメージもお互いに大きいです。

 

娘の引きこもりを心配しておられるのならば、とっとと家から出して自立させるのが一番です。自立させてからも干渉もせず、元気にしている様子だけ知る程度で良いと思います。

 

私は結婚もしていないし、子供ももちろんいませんが、周りはほとんど自分の家族を持ち子育てに邁進しています。みんな言います。

自分が子育てして親の苦労が初めてわかったー!と。

 

 

引きこもりの娘を持つお母さん。娘の将来が心配と本気で思うならば、心を鬼にして家から追い出してあげてください。娘の人生の舵をとるのは娘自身です。

 

死ぬまで親子は親子ですから^_^

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です